ミルキーウェイ

いまの時代にあえてネットで発信する理由はどうしても伝えずにいられないことを伝えるためだと思います

中古で買ってみた GALAXY Note Edge SCL24 au

格安運用ならキャリアスマホ!?

iPhoneAndroidの2台持ちをしている。Androidの方が5からアップデートされない機種だったのであわよくば買い替えようと思っていた。

いまSIMフリースマホが伸びているようだが、私はキャリアスマホを選びたい方だ。キャリアスマホのほうが値段に対してハイスペックだから、ほかにデメリットがあっても目をつぶることにしている。確かに最新のOSが使える可能性の高いSIMフリー機種にも魅力があるけど、譲れない要素について考えたとき、(主にCPU)スペックが使用感に大きく影響するだろうと考える。

ファブレットの時代が来てる

あとは画面の大きなスマホ。世間ではスマホの進化は終わったのだとまことしやかに言われている。その真相は分からないが、スマホに対してファブレットのシェアは増えているらしい。私も前からある程度のサイズは(面積に対する体積の増加など)有利な点が多いと思っているので、前よりは大きなものを選ぶことにした。というかネット見るにしても動画を見るにしても、持ち運びのことを考えても5インチ未満では少し小さいと思う。

お店の陳列棚を眺めているうちにLGの機種にもひかれたけれど、サムスンのGlaxy Note Edgeも候補に挙がった。LGは前にも使ったことがあるがサムスンを使ったことは一度もない。何となくお高く留まったところがあるので手を出せなかった。少し前の爆発騒動やほかの新興メーカーの台頭によるのだろうか、少し古めの機種なら比較的中古価格が落ち着いた気がする。

ギャラクシーノートエッヂ

Galaxy Note Edge SCL24は今使ってるauのLTESIMをそのまま使うことができる。もうそろそろau LTE SIMの時代じゃないのだけど、auMVNOのVoLTE SIMは端末のロック解除しないと使えないのにロック解除に強い制限がかかっているため、使える端末の種類が非常に少ないつらい状況になっている。

この機種の最大の特徴はエッヂ部分。それはまあいいんだけど、もう一つの売りであるSペンによる手書きはどんなものなのか気になる。

その店では2台ある在庫のうち1台は状態も良かったのでそれを買うことにした。中古の端末を買ったときは必ずすることがある。ひとつは端末のリセット。すでにリセットされてるのだけど念のため。あとは気休めのアルコール消毒。

中古端末はどこから来たのか

中古端末は前はどんな使われ方をされていたのかわからない。確かめようはないのだけど、いくつか判断できることはある。

まずこのSCL24 は時計が2017年で止まっていた。半年くらい放電されたまましまっていたのかもしれない。実利用期間が短いのはいいことだと思う。

最初2015年製とは思えないほどバッテリーが弱っていて、朝100%から2時間くらいで空になるほどだった(もちろん画面ONで使い続けて)。SCL24は今どき珍しい電池パック交換可能な機種なので別にいいのだけど、念のため2~3回の放電と充電を経ると少し復活した気がする。アプリによる推測で7割ちょっとくらい容量が残ってるらしい。

バッテリーが本調子になるまで少しかかったことを考えても、この端末が長い間眠っていた可能性は高い。ただアップデートは2017年7月のが当たっていたようなので、それからだと思われる。

画面が大きくて使いやすい

少し使ってみてやっぱり画面が大きい。個人的には情報が多くなるメリットの方が多いと感じる。画素が細かいので文字が恐ろしいほどきれいだ。

有機ELだから黒が引き締まる、とはあまり思わなかった。普通にきれい。

事前にレビューでエッジ部分の誤作動が多いと読んだが、そこまで気にならないと思う。触っただけなら動作しないので。

Sペンの書き味も少し使ったくらいではとても良い感触だと思おう。標準のSノートという
アプリが入っているのだけど、Google PlayにもSペン対応のアプリがある。こういうサードパーティーの充実してるところは売れてるメーカーの良さだと思う。

もしSペンなくしたらすぐ手に入るんだろうか。

スマホがあればパソコンいらない その通り

最近の若者はパソコンを使えない。どうすればパソコンの利用率を上げられるのか。たまにニュースになるから人によっては大事なことらしい。本当に大事なことなのか。

それよりスマホでできることをいかに増やすかにリソースを割いたほうがよくないか。少なくとも時代の先を見ている人はそう考えている。

この10年、スマホタブレットでできることは増えていて、パソコンでやる仕事の大部分がすでに食われた。パソコンでしかできないことは昔より減っているのに、パソコン本体は10万円以上する。それなら使われないのが正常だ。

それならあなたはなぜパソコンを毎日使っているの? といわれたらもちろんスマホではできない仕事をするため。また同じことをするなら画面が広くてパワーもあるパソコンのほうが早くて便利だからというのもある。

でも一番の理由はスマホとその環境がまだ未完成で過渡期にあるからパソコンも使っているけど、利用率が低いわりに場所とコストをとられていてモヤモヤしている、のが本音に近いかもしれない。

いくらスマホが進化したといってもそのCPUパワーは2000年代のCore2Duoにも劣るし、アプリも周辺機器もまだ足りない。

仕事の場合はどうするか。業務アプリをAndroidタブレットに移植してキーボードとマウスをつなげれば、利用者が複数のOSを学習することにコストをかけるより楽だと思う。

家計簿(お小遣い帳)が続いた理由はこれだった

続かないものの代表といえば家計簿(お小遣い帳)だろう。私も何度か挑戦しては3日で飽きることがほとんどだった。そのたびに自己嫌悪に陥るものだ。Zaimだとかマネーフォワードといった進んだスマートフォンアプリを使えばもっと簡単に記録できると思っても、結局続かないのが常である。

なのに今年は4月から記録を取り始めて12月の今日まで続いている。このまま年をまたぎそうだ。なぜ今回は半年以上も記録ができているのかその理由をまとめたくなった。ポイントは普段の習慣と動機づけになる。

じゃあどうするかというと一つの段階を踏むことが重要だ。それは日常やりとりする料金の印字されたレシートなどの記録を保管することから始めることだと思う。最初は家計簿のことは忘れてひたすらレシートや領収書を集めることに集中する。

これが意外と難しくて、コンビニで店員がレシートをくれなかったりするとつい見逃したくなるが、意識的に習慣にするのがいいだろう。

これが身に付いたら一気にまとめたくなるのを待つだけ。記録さえとってあればそれを形にする日ははっきりいっていつでもいい。そういう入力作業に適した日がきっとあるはずだ。

しかしこのままではただレシートの山ができるだけ。データ化するには強い動機が必要だと思う。その動機はなんなのかというと、自分の場合はお金の使い方を把握したいという思いだった。

私の場合記録を取らなくても赤字になったり借金をしたりすることはない。ささやかな積み立てもしていた。しかしそれはそれで非常に狭い視野しかない。はっきりいって今財布にいくらあるかで買い物計画を立てているようなものだった。

年単位のスパンで目標を決める必要があると思ったときに、自然と記録を続けることができた。目標のためには、いまの残高だけみるのではなく予想される来年の状態を見て計画を立てたほうがいいと思ったから。

家計簿が続かない理由を一言にすると付けなくてもそれなりに困らないからだったと思う。

大きめの目標ができたとき習慣化できた。

どうでもいい

貴ノ岩の暴行問題からの白鳳や貴乃花親方の一連の騒動、相当盛り上がっているようだ。マスコミの取材風景だけ見てるとその加熱ぶりは過去の毒カレー事件などを思い出させる。

これがちょっと意外だった。相撲界のゴタゴタになんでみんなそんなに興味あるのが不思議でならない。

普段の場所の誰が勝ったとか負けたとか優勝したとかの話でさえあまり興味ないのに、裏方の事情なんて本当にどうでもいいと私は思う。

見てて楽しい分には問題ないが、もし見ていて疲れたり不快になったりしているとすれば、自分と直接関係ない物事の重要度を上げすぎである。

余計なお世話かもしれないが、相撲世界の騒動に熱くなっている一方で、自分や身の回りの世界がおろそかになっていないか考えてみることをお勧めしたい。

 

人は10年で変わる説

日本で作られたブログの全部のアクセス数を集計して、分布をとると1日100アクセス未満のブログが9割という数字がありました。ほとんどだれも見てないということです。だいぶ過去の数字なので、ブログブームが終わった今はもっと極端かもしれません。

私のブログといえば以前は500から1000PVはありました。成功しているとは言えないけれど、よく比較してみると日本の上位数%にいたのかもしれません。

そんなブログも熱が冷めて更新はなくなりました。10年続いたことは自分にしてはすごいけど、もうほぼほぼ終わってます。

よく「家計簿は(禁酒でも禁煙でもなんでも)n週間続けば本物~」という言説を目にします。仕事だったら「3年は~」とも言います。

自分や周りを見渡すと10年という年月は一つの大きな区切りになっているような気がします。10年で〇〇が変わった、好きだった〇〇をやめた、いろいろありますが大きな壁になっていると思います。

自分も例外にもれず10年やってみて大した成果もなかったことに気づいた感じがあります。

だけど正直に言うと終わってるんだけど少し終わってない気持ちがあります。明らかに悪いほうの未練が残ってて全部消すのをためらっています。

人が変わるときに起こること

最近Youtubeでギターの講座の動画を見ています。動画サイトがなかったころは教則本か高価なビデオ(DVD)くらいしかありませんでしたが、いまは様々な角度から映像で指導してくれるので便利な時代になったと思います。

やっぱり文字で伝えるよりも映像と音声で伝えるほうが情報量が多くて1度にたくさんのことが理解できます。

そんな中でとても興味深いことを言っている人がいました。

「数えられないくらい量の教則本を読んだけどギターはうまくならなかった。もしかして教則本の著者は読者が上手にならないように嘘を書いているのじゃないだろうか。そう思った時から上達した」

その人の中であたり前の信念である「教則本はうまくなるためにある」を疑ったときに大きな変化があったわけです。こういう今まで疑問に思ったこともない絶対的な物事を疑うことが大切なんだと思いました。

私だったら「何事もベストを尽くしたほうがいい」という信念があります。これは過去に議論して得たわけでもなく、いつの間にか刷り込まれていたものです。それに一般的に考えてもベストを尽くすことが悪いこととは思えません。

しかしそんな当たり前で絶対正しいと思っていた信念を変えてみたらどうでしょうか。8割の成果を守っていたほうが効率よく進むのではないだろうかとか、完璧主義を目指して進歩がないより3割4割の進み具合で行ったほうが良い結果を生むかもしれないとか、様々な可能性が見えてきます。

こうした信念は頑張って身に着けたものでなくいつの間にか無意識的に判断に影響しているもので、一見すると悪いことでない場合が多く、本人にとってはまさか変えたほうがいいこととは思えないことだったりします。

教則本はうまくなるためにある、を疑うのはなかなかできることじゃないでしょう。

人間が変わることができるだとすれば、その方法はこのようなことではないかなと思いました。

もしかしてPCのメモリが足りないんじゃないかと思う

メインのデスクトップマシンのメモリが4GB。これって少ないんでしょうか。もしかして少ないのかもしれないと最近思いつつあります。ずっと4GBだった理由は何なのか。

32Bit OSだからではない

システム的に対応してないわけではなく、ちゃんと64BitのOS(Windows10)を使っています。

ハードが対応してないわけではない

コンパクトなPCなのでスロットは2つしかないのですが一応16GBまで対応しています。

お金がないからではない

元が4GBなので倍の8GBにしても4千円台で済むことはなんとなく知っています。出せない金額ではありません。

やり方が分からないからではない

メモリの交換の仕方は一応知っています

じゃあなぜ4GBだったのか

それは4GBもあれば必要十分だと思っていたからです。だって4GBですよ。

動画編集も音楽編集もそれなりにするほうですが、著しく遅かったりエラーが出たりということはなく、SSDを使っているので仮想メモリが足を引っ張ることもそれほどありませんでした。4GBもの容量があればそうそう困らないでしょう。

今どきのOSのメモリ管理は優秀なので常に使用量が3GB付近を維持しているということは、メモリが足りない理由にも足りてる理由にもならないはずです。OSは持っているリソースをもとに賢くやりくりしているからです。

それでも最近はChromeだけで1GB以上消費することも多くなりました。おまけに私のPCはビデオカードを積んでいないのでグラフィック分のメモリも消費します。

そう考えるとそろそろ8GBくらいはあってもいいかなと思うようになりました。

いまごろ4GBじゃ足りないかもしれないと思い始めてきた、なんて言うとびっくりされるかもしれません。

PCを持ち始めたころだったら、必要不必要にかかわらず手に入りそうなだけのメモリを積んでいたかもしれません。そうしないのはPCへの興味が薄れてきたから?