ミルキーウェイ

いまの時代にあえてネットで発信する理由はどうしても伝えずにいられないことを伝えるためだと思います

スマホがあればパソコンいらない その通り

最近の若者はパソコンを使えない。どうすればパソコンの利用率を上げられるのか。たまにニュースになるから人によっては大事なことらしい。本当に大事なことなのか。

それよりスマホでできることをいかに増やすかにリソースを割いたほうがよくないか。少なくとも時代の先を見ている人はそう考えている。

この10年、スマホタブレットでできることは増えていて、パソコンでやる仕事の大部分がすでに食われた。パソコンでしかできないことは昔より減っているのに、パソコン本体は10万円以上する。それなら使われないのが正常だ。

それならあなたはなぜパソコンを毎日使っているの? といわれたらもちろんスマホではできない仕事をするため。また同じことをするなら画面が広くてパワーもあるパソコンのほうが早くて便利だからというのもある。

でも一番の理由はスマホとその環境がまだ未完成で過渡期にあるからパソコンも使っているけど、利用率が低いわりに場所とコストをとられていてモヤモヤしている、のが本音に近いかもしれない。

いくらスマホが進化したといってもそのCPUパワーは2000年代のCore2Duoにも劣るし、アプリも周辺機器もまだ足りない。

仕事の場合はどうするか。業務アプリをAndroidタブレットに移植してキーボードとマウスをつなげれば、利用者が複数のOSを学習することにコストをかけるより楽だと思う。

家計簿(お小遣い帳)が続いた理由はこれだった

続かないものの代表といえば家計簿(お小遣い帳)だろう。私も何度か挑戦しては3日で飽きることがほとんどだった。そのたびに自己嫌悪に陥るものだ。Zaimだとかマネーフォワードといった進んだスマートフォンアプリを使えばもっと簡単に記録できると思っても、結局続かないのが常である。

なのに今年は4月から記録を取り始めて12月の今日まで続いている。このまま年をまたぎそうだ。なぜ今回は半年以上も記録ができているのかその理由をまとめたくなった。ポイントは普段の習慣と動機づけになる。

じゃあどうするかというと一つの段階を踏むことが重要だ。それは日常やりとりする料金の印字されたレシートなどの記録を保管することから始めることだと思う。最初は家計簿のことは忘れてひたすらレシートや領収書を集めることに集中する。

これが意外と難しくて、コンビニで店員がレシートをくれなかったりするとつい見逃したくなるが、意識的に習慣にするのがいいだろう。

これが身に付いたら一気にまとめたくなるのを待つだけ。記録さえとってあればそれを形にする日ははっきりいっていつでもいい。そういう入力作業に適した日がきっとあるはずだ。

しかしこのままではただレシートの山ができるだけ。データ化するには強い動機が必要だと思う。その動機はなんなのかというと、自分の場合はお金の使い方を把握したいという思いだった。

私の場合記録を取らなくても赤字になったり借金をしたりすることはない。ささやかな積み立てもしていた。しかしそれはそれで非常に狭い視野しかない。はっきりいって今財布にいくらあるかで買い物計画を立てているようなものだった。

年単位のスパンで目標を決める必要があると思ったときに、自然と記録を続けることができた。目標のためには、いまの残高だけみるのではなく予想される来年の状態を見て計画を立てたほうがいいと思ったから。

家計簿が続かない理由を一言にすると付けなくてもそれなりに困らないからだったと思う。

大きめの目標ができたとき習慣化できた。

どうでもいい

貴ノ岩の暴行問題からの白鳳や貴乃花親方の一連の騒動、相当盛り上がっているようだ。マスコミの取材風景だけ見てるとその加熱ぶりは過去の毒カレー事件などを思い出させる。

これがちょっと意外だった。相撲界のゴタゴタになんでみんなそんなに興味あるのが不思議でならない。

普段の場所の誰が勝ったとか負けたとか優勝したとかの話でさえあまり興味ないのに、裏方の事情なんて本当にどうでもいいと私は思う。

見てて楽しい分には問題ないが、もし見ていて疲れたり不快になったりしているとすれば、自分と直接関係ない物事の重要度を上げすぎである。

余計なお世話かもしれないが、相撲世界の騒動に熱くなっている一方で、自分や身の回りの世界がおろそかになっていないか考えてみることをお勧めしたい。

 

人は10年で変わる説

日本で作られたブログの全部のアクセス数を集計して、分布をとると1日100アクセス未満のブログが9割という数字がありました。ほとんどだれも見てないということです。だいぶ過去の数字なので、ブログブームが終わった今はもっと極端かもしれません。

私のブログといえば以前は500から1000PVはありました。成功しているとは言えないけれど、よく比較してみると日本の上位数%にいたのかもしれません。

そんなブログも熱が冷めて更新はなくなりました。10年続いたことは自分にしてはすごいけど、もうほぼほぼ終わってます。

よく「家計簿は(禁酒でも禁煙でもなんでも)n週間続けば本物~」という言説を目にします。仕事だったら「3年は~」とも言います。

自分や周りを見渡すと10年という年月は一つの大きな区切りになっているような気がします。10年で〇〇が変わった、好きだった〇〇をやめた、いろいろありますが大きな壁になっていると思います。

自分も例外にもれず10年やってみて大した成果もなかったことに気づいた感じがあります。

だけど正直に言うと終わってるんだけど少し終わってない気持ちがあります。明らかに悪いほうの未練が残ってて全部消すのをためらっています。

人が変わるときに起こること

最近Youtubeでギターの講座の動画を見ています。動画サイトがなかったころは教則本か高価なビデオ(DVD)くらいしかありませんでしたが、いまは様々な角度から映像で指導してくれるので便利な時代になったと思います。

やっぱり文字で伝えるよりも映像と音声で伝えるほうが情報量が多くて1度にたくさんのことが理解できます。

そんな中でとても興味深いことを言っている人がいました。

「数えられないくらい量の教則本を読んだけどギターはうまくならなかった。もしかして教則本の著者は読者が上手にならないように嘘を書いているのじゃないだろうか。そう思った時から上達した」

その人の中であたり前の信念である「教則本はうまくなるためにある」を疑ったときに大きな変化があったわけです。こういう今まで疑問に思ったこともない絶対的な物事を疑うことが大切なんだと思いました。

私だったら「何事もベストを尽くしたほうがいい」という信念があります。これは過去に議論して得たわけでもなく、いつの間にか刷り込まれていたものです。それに一般的に考えてもベストを尽くすことが悪いこととは思えません。

しかしそんな当たり前で絶対正しいと思っていた信念を変えてみたらどうでしょうか。8割の成果を守っていたほうが効率よく進むのではないだろうかとか、完璧主義を目指して進歩がないより3割4割の進み具合で行ったほうが良い結果を生むかもしれないとか、様々な可能性が見えてきます。

こうした信念は頑張って身に着けたものでなくいつの間にか無意識的に判断に影響しているもので、一見すると悪いことでない場合が多く、本人にとってはまさか変えたほうがいいこととは思えないことだったりします。

教則本はうまくなるためにある、を疑うのはなかなかできることじゃないでしょう。

人間が変わることができるだとすれば、その方法はこのようなことではないかなと思いました。

もしかしてPCのメモリが足りないんじゃないかと思う

メインのデスクトップマシンのメモリが4GB。これって少ないんでしょうか。もしかして少ないのかもしれないと最近思いつつあります。ずっと4GBだった理由は何なのか。

32Bit OSだからではない

システム的に対応してないわけではなく、ちゃんと64BitのOS(Windows10)を使っています。

ハードが対応してないわけではない

コンパクトなPCなのでスロットは2つしかないのですが一応16GBまで対応しています。

お金がないからではない

元が4GBなので倍の8GBにしても4千円台で済むことはなんとなく知っています。出せない金額ではありません。

やり方が分からないからではない

メモリの交換の仕方は一応知っています

じゃあなぜ4GBだったのか

それは4GBもあれば必要十分だと思っていたからです。だって4GBですよ。

動画編集も音楽編集もそれなりにするほうですが、著しく遅かったりエラーが出たりということはなく、SSDを使っているので仮想メモリが足を引っ張ることもそれほどありませんでした。4GBもの容量があればそうそう困らないでしょう。

今どきのOSのメモリ管理は優秀なので常に使用量が3GB付近を維持しているということは、メモリが足りない理由にも足りてる理由にもならないはずです。OSは持っているリソースをもとに賢くやりくりしているからです。

それでも最近はChromeだけで1GB以上消費することも多くなりました。おまけに私のPCはビデオカードを積んでいないのでグラフィック分のメモリも消費します。

そう考えるとそろそろ8GBくらいはあってもいいかなと思うようになりました。

いまごろ4GBじゃ足りないかもしれないと思い始めてきた、なんて言うとびっくりされるかもしれません。

PCを持ち始めたころだったら、必要不必要にかかわらず手に入りそうなだけのメモリを積んでいたかもしれません。そうしないのはPCへの興味が薄れてきたから?

 

メールアドレスを変えるデメリットなど

milkywaynet.hatenablog.com

先月初頭からメールアドレスの変更をしてました。10年以上は使ったであろうメインのメールアドレスを別のGmailに変えました。理由は過去記事に書いてあります。

私の場合のメインのメールアドレスとはサイトに登録するときに使うようなアドレスのことです。前提として私はどんなサービスもほとんど同じアドレスで登録していました。それで全然問題がないからです。〇〇用メールアドレスというような使い分けをしている人はまた話が違ってくるかもしれません。

個人と個人のメール連絡をする頻度はもうこの時代多くないですし、「アドレス変わりました」というだけなのでそんなに難しくありません。

サービス登録のメールアドレスを変えることの難しさは、自分が登録しているサイトを余すことなく列挙くすることが難しいのと、サービスによってシステムが異なることです。

変更作業後1か月たってみてほぼうまくいったと思います。結果的にアドレス変更にシステム的に対応していないのは楽天銀行くらいでした(変更後のアドレスがフリーアドレスとみなされてしまってはねられるようです)。これは後でサポートに電話する必要があるかもしれません。

Google アカウント関係も所有者の変更やコンテンツのコピペで移動することができました。各サービスに新しいユーザー(自分)を招待し、オーナーに昇格させるというような作業です。ただスマホゲームみたいにアカウントにデータが紐づいているような形のものは移動できないと思います。課金したアプリがある場合も面倒なことになるでしょう。私はどちらも使ってなかったのでその点は楽でした。

普通のサービスだったらメールアドレスはIDみたいなものなので取り換えられるのですが、Gmailに対するGoogleのサービスは一体化しているため、場合によってはこわいことになるかもしれないなと思いました。

古い方のメールアドレスは課金が終われば存在しなくなります。後から変更忘れのサービスがあってログインできなくなったりするデメリットはあります。人の作業には漏れがあるからです。

そもそもなぜ前は有料のアドレスを使っていたかというと、あの頃はそのほうがいいと思ったからです。将来(つまり今)もGmailは安泰でAndroid OSの成功でさらに地位が上がり、逆に有料アドレスのほうが新規受付を終了して誰も使わないサービスになるなんて予想できなかったです。

同じように10年先にGmailがどうなってるかも誰にもわかりません。長く使うものなのである種のかけみたいなところはあります。

ある意味では(今回私がしたように)メールアドレス変更を経験してみてアドレスはいつでも変更できるんだという安心感を持っておくことがいいのかもしれません。